(11)第10の出動:準日帰り・名古屋特攻作戦








1995年10月27日(晴)/28日(曇)

27日は6時に退社して9時に園生。 蘇我を経由して首都高&保土バイ使って町田。 河村選手を合流させた後、 国道246、129、134、1、135通って伊東の富戸着。 時刻午前2時すぎ。寝る。

翌朝は7時起床7時半発。 大仁のマクドナルド経由、三島でダイバー三人を下ろす。 ここからは一人旅人モード。国道1号を富士まで行き東名にのる。 岡崎までバリバリ高速走行、習志野ナンバーのBMと列走。 岡崎を出ると1号を少し戻り県道を介して国248号で左折。 ずんずん南下し太平洋にブチ当たる。 途中国23号に折れてうどん屋の駐車場で写真。 海沿いに247号を行き国414号をカメラに納めてから橋を渡り知多半島に上陸。 国366号と国155号を撮影し、知多半島有料道路と名古屋高速を利用して名古屋入り。名駅前栄周辺を走り回り22号と41号を撮る。

広小路通りのタワーパーキングに車を預け手荷物持って名古屋の町に繰り出す。 交番で郵便局を尋ね中日ビル内〒で金をおろす。 隣立する名古屋市民ギャラリー8Fに行き弟くん主催の展覧会を鑑賞。 しかし当の本人には会えず。すごすごと立ち去ることになる。 名古屋周辺で撮り残した302号を戴くべく41号を北上。 撮影が済んだ後電話番号を調べてTELするが弟は留守。 さっさと帰路に着くことにした。41号を更に小牧まで北上、東名にのった。 午後5時。

すこぶる順調に進むが秦野―横浜間が渋滞20キロとの情報。 午後7時。愛鷹で仮眠して帰ると電話した直後、 渋滞最後尾で事故発生の情報を得て仮眠はやめ先に進む。 渋滞手前の秦野中井で下りていつもの県道経由で平塚。 小田厚横を厚木まで行き県道で大和に向かうが厚木で下りた車だろうか、 ここに集中していた。 少々手間取ったが難なく大和に出て下川井から保土バイ、首都高、 東関道経由で家に午後10時着。 モーターショウの影響か東関道、357、京葉道、 14号はどれもこれも上りが超渋滞だった。下りは無傷。

1995/10/28 T・S・おたかし

走行距離:1056km

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