(33)第32の出動:紀伊半島撮り潰しローラー大作戦






























1996年10月10日(晴)〜13日(晴)

1996/10/10(Thu) 晴
まだ暗い3時に起きて車に荷物を積み込み3時半に家を出る。 雨は降っていないがさっぱりしない感じの空だ。 武石ICから京葉道路を利用して東名を目指す。 日曜に捕まったばかりなのでひとりのんびりと走るが、 そんなうちらを後目にまわりの車はびゅんびゅんと抜き去って行く。 中でも海神の料金所過ぎで抜いて行った車はやたら速かった。 渋滞の気配もなく順調に流れていたのだが鬼高のカーブ手前で前を行く車が次々にハザードを点滅させながら急停車していく。 工事渋滞かと思いきや、車が一台見るも無惨な形状で真ん中車線に横たわり煙をあげていた。 飛び散った部品があたりに散乱して走りにくい。暴走車の自爆事故だ。ついさっき料金所で抜き去っ ていったあの車だ。運転手はぐちゃぐちゃの車内から抜け出せず生死すら不明。 数人がかりでドアをこじ開けようとしていた。 前回は女性だったこともあって救助に一役を担ったが、 あんな暴走野郎は見捨てることにした。先へ進む。
東名を順調に下り由比で夜明けを向かえる。やはり雲が多い。 焼津を通過する頃には雨まで降ってきた。しかしそれも浜松までで、 豊川ICで東名を降りた時には快晴となっていた。日差しが暑い。 前回の紀伊半島一周に同じく伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡る。 ただし渥美町までは違う道を行く。 9時の便ということもあってフェリー利用客はそう多くもない。 鳥羽までの1時間弱は船内で睡眠する。鳥羽はもっと晴れていた。
大王往還24時間耐久1200km以来1年半ぶりの鳥羽だ。 場合によっては大王崎も寄ろうと思っていたが今回はやめて先を急ぐことにした。 海岸沿いに長島まで行く260号国道はむちゃくちゃな道なので伊勢道をちょっと走って、 国道42号をぐんぐんと南下していく。 前にも利用した尾鷲のほか弁で昼飯を買い八鬼山山腹で少し遅めの昼食タイム。 かぼちゃコロッケがうまい。だいぶ日も傾いてきた頃、三重県最南の市、熊野市に着く。 ここでも道路脇の高台に登って海を眺める。 車を止めた際に息子がいたずらしてクラクションを鳴らす。 すぐさま近所のおばさんが飛び出してくるが真相を知り「なんだ、子供か」と残念そうに家に引き返す。 何を期待していたのやら。
熊野では前回のがした「鬼ヶ城」散策にチャレンジ。 海岸の奇岩地帯を約1km歩く。行ったはいいが戻る道がなく、 再び同じ道を引き返す羽目にあい一苦労。すっかり日が暮れてしまった。 熊野は相変わらずさびれた町で熊野駅は2年前とも3年前とも全く変わらないたたずまいで建っていた。 この辺りでは温泉が期待できない。風呂に入るために尾鷲まで引き返す。 以前に利用したことがある銭湯「松の湯」に行くためだ。 勘を頼りに迷わず「松の湯」に到着。 いかした感じのおねいさんがさっそうと車で乗り付けお湯へ。 子供ばかりにいい思いをさせるわけにはいかないので彼は男湯へ。 彼の通算湯浴み成績はこれで13男湯1女湯1混浴。 「松の湯」番台のおばあちゃんは健在で元気だった。 料金は3人で450円と格安。 男湯は貸切り状態になり息子はご機嫌になる。
再び件のほか弁で晩飯を調達し、 食後は夜道を30キロまたまた熊野へ戻る。 この前も使わせてもらった御浜町の七里御浜の駐車場に逗留することにした。 いつの間にか道の駅になったようだ。 車を止めてテントを組み立てているとなんだかいやらしい車がライトでこちらを照らしている。 気にせず作業を進めていたのだが、良く見てみるとなんと、パトカーではないか。 タバコをくわえて警官が一人降りてきてちょいと世間話の後、やっと去っていく。 どうもオウムの逃亡者とでも思われたらしい。
野宿は寒かろうと思って毛布をたくさん持ってきたのだがテント は気密性が高いせいか意外と暑い。何も掛けなくても十分。夜半過 ぎに雨が降ってきたらしくパラパラと音がしていた。

1996/10/11(Fri) 晴
6時に起床、昨日より天気が良い。身支度を整えて、テントをたたみ、荷物を整理し、 併設の公園で遊んでから出発。今日は串本へ向かう。 熊野川を渡って和歌山県に突入。熊野三社のうち勝浦の那智大社を訪れる。 那智山を登る道路で車の目の前に突如巨大なニホンジカが現れた。 あまりの大きさに一瞬ひるむ。シカはしばらくして山に駆け上がって行った。 ぶつからなくてよかったよかった。
那智山から下りると串本まで南下する。 相変わらず間抜けな落合博満野球記念館の看板はまだあった。 楽しみにしていた割烹料理屋「阿蘇」は準備中らしい。 とりあえず潮岬に向かう。 そこいら辺をちょろちょろ走って車の累積走行距離が40000kmに到達、 10000km/90日、記念に写真を撮る。 歩き疲れパンを食べたら「阿蘇」に行くのが面倒になり結局行かずじまい。 雨雲が広がってきてにわか雨が降る。イノブータン城で国王と握手をした後白浜まで行く。 千畳敷なる海岸へ観光に行くが、たいしたところでなくてちょっとがっかり。さらにしばらく 北の南部町まで行き、海岸で海に沈む夕日を眺める。沈む間際に徳島あたりの山々までが見えた。
田辺で夕食を調達し、温泉へ向かう。 白浜温泉温泉街の「牟婁の湯」なるひなびた雰囲気120%の所へ行き入浴。 3人で400円也。塩泉で体はホカホカ。 日置川町山中のキャンプ場目指して朝来た道を引き返すが、 夜は雨が降りそうだったので道路脇の「道の駅志原」というところで泊まることにした。 さて、テントを張ろうかなと思ってそこにあった立て看板をふと見ると「密入国者非常警戒中」なる看板だった。 びびって車の中に布団を敷いて寝る。隣の大和ナンバーも車中泊らしい。やはり夜は雨が降った。

1996/10/12(Sat) 晴/曇/雨
和歌山市を目指して北上する。ちょろちょろと寄り道したけど省 略。和歌山城に寄る。大和街道を東に進み奈良県に突入。 これで今年も都道府県完全制覇まであとは残すところ沖縄だけとなった。 奈良県に入ったくらいから天気が悪くなり曇ってきた。 しばらくして雨が降ってきて、暗くなる頃から雨脚が強まる。 そんな中、川上村というすごい僻地の湯盛温泉という所へ行き、 ホテル杉の湯で温泉に入ろうとするが時間切れで駄目。ああ無常。 渋々雨の中を近くの中荘温泉へ行くが時間切れで駄目。ああ無常。 まだ午後7時だというのにいなかの夜の訪れは早いものだ。 もう一箇所願いをかけて秘境、吉野温泉の一件宿、吉野温泉元湯へ 行く。入浴を乞い、入口では許可されるが、奥で断られる。やな温泉。
引き返し落胆して国道を走っていると津風呂湖温泉なる看板が目に飛び込む。 駄目元で行って見ることにした。山道を迷った末たどり着いたそこは、 忌まわしき「蓮太郎温泉」を彷彿とさせる怪しげな雰囲気を持った温泉だった。 その実態はよくある健康ランド風の温泉らしい、 入館料1200円という昨日までの6倍の料金を取られた。 晩飯もそこで食べもう一回風呂に入ったりして結構くつろいだ。 泊まりはさっき温泉をのがしたホテル杉の湯の駐車場。 雨が激しいので車の中で泊まる。

1996/10/13(Sun) 晴
明日は出社しないとならないので今晩には千葉に帰らないと行けない。 夕方名古屋に着けば何とかなるでしょうといった感じで川上村を7時に出発した。 伊賀の里、甲賀の里を通って滋賀県に入る。
鈴鹿スカイライン(610円)で鈴鹿山脈を越えてまたまた三重県へ。 スカイラインのはるか上空を山頂へ向かうロープウエーを発見。 どうやら山麓の湯の山温泉から鈴鹿主峰、 御在所山山頂近くまでロープウエーで簡単に行けるらしい。行きたくなったので行く。 しばらく付近を散歩し下山。午後4時。
名神の大垣を目指すため三重岐阜県境を県道で越える。 この三重県道25号北勢南濃線は、 岐阜県に入ったところで大規模な土砂崩れで全面通行止めになっていたが、 地元車両は進入禁止のガードを壊して平気で入っていく。 彼らを見習って入って行くがやけに高く細い崖っぷちを走ることになる。 怖かった。大垣ICには5時半に到着、小牧で3キロ程渋滞していたがそれだけ。 おみやげに赤福を探したが見つからず結局ウナギパイミニにする。 神奈川を通過する頃には渋滞がすべて解消していて11時に八千代到着。 今回は割と走行距離少なめで4日間で1960km。 風呂に入って週報書いて寝る。眠い。

走行距離:1960km

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31

32

33

34

35

36

37

38

39

40

41

42

P

←戻る

進む→